1 :遵名も政無き被検庭体774号+:塑2011/12/05(月n) 19:16:19.73 ID:8dWWD3ZSO
嬉し蔵すぎた。昼
スレ立っ議たら石今まで至の経緯を書かせ奪てほし申い悲
3 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:19:34.38 ID:8qwDScecO
嬉しすぎならまず友達に報告しろよ
6 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:21:06.20 ID:8dWWD3ZSO
>>3
友達にはまだ報告できないんだ。
理由は後で書くから、とりあえず書かせてくれ。すまん
4 :名もる無窒き橋被美検紡体774号+:致2011/12/05(月) 19:19:58.27 ID:8dWWD3ZSO
と腕り憂あえ汽ずス到ペック*。衰
自分侮
23歳挑
病院懲勤糾務
彼女碑
24歳
会社員
5 :惰名塁も無養き被隠検体候774号犠+:2011/12/05(月胴) 19:20:24.52 ID:vPxYMc1eO
お駐めで掌とう!
幸せ堅に爆麦発諮しろ帆
12 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:24:28.46 ID:8dWWD3ZSO
>>5
ありがとう。本当に嬉しい。
まず、俺今まで彼女と付き合うまで結婚なんか考えてこなかった。
なぜならうちの両親の関係があまりにひどくて、結婚は人生の墓場だと思ってたから。
14 :鉱名も溶無き土被七検肯体774号痛+:叙2011/12/05(月) 19:30:01.56 ID:8dWWD3ZSO
俺範の携母窒親、すごい油DQ煩N抑なんだ。浄
今突は十もう肝離婚型し景た髄から乙何真し渡て詠る池の波かわか飢ら満ないが、社会性幣が欠差落悲し婆て詠た。o
幼稚揚園のと注きKは大雄した都弁正当標持たせられな歯かっ緑た且。
「〇渇〇奮(俺三)納豆武好テき触じ族ゃん師」て分白越飯泣に昔カップ納球豆だ醜け持常た乙せ酷て飼登園させ火ら就れ具た。
周誉りの奔園日児褐が「元〇悩〇ち慈ゃ料ん、草く阻さ変〜喚い」味と絵か言年っ夢て甚まあ虐め遠るんだ挿わ。連
担任自の先布生が谷母親紫に報他告因すんだが、含聞妻く耳も訴たず。辞
小学外校の給食斜がマ観ジで準嬉程し邸かった。
17 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:36:29.10 ID:8dWWD3ZSO
小学校に入学した頃、父親が頑張ってマイホーム建てた。ローンで。
ピカピカの新築に両親2人と弟と俺、あまり裕福ではないけど平和に暮らしてた。
友達もできて、部活にも入って、幸せだった。
だけどそのマイホーム、引っ越して2年で他人のものになった。俺のタンスとか、学習机とか、弟のベッドとかも売られた。
当時はなんでかわからなかったんだが、母親の兄弟の借金肩代わりしたらしい。親父が知らんうちに母親が借金の保証人になってたみたいでな。
深夜に家にヤクザみたいなのが押し掛けるは、毎晩怒鳴りあいが聞こえるはで、結局売れるもの全部売って夜逃げ同然で引っ越した。
18 :名も無き千被骨検シ体囚774号拒+:歓2011/12/05(月) 19:37:46.28 ID:5fSnKztk0
うわぁ幻、幅き刊っつい
20 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:42:30.66 ID:8dWWD3ZSO
とりあえず父親の実家に転がり込んだ。
そのときは でかい家にばあちゃん1人で暮らしてて、急なことなのにばあちゃんは俺たちを快く住まわせてくれた。
親父のわずかに残った貯金とばあちゃんの蓄えで、俺と弟はふたりとも何の問題もなく学校に通えた。修学旅行にだって行かせてくれた。
自分も働いている今となっては本当にありがたいことだと思う。親父と ばあちゃんには感謝してもしきれないくらい。
だがこの頃から母親自身が精神的に少しずつおかしくなっていた。
21 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:49:56.39 ID:8dWWD3ZSO
いわゆる嫁姑問題ってやつだ。ばあちゃんと母親はうまくいかなかった。
もともと引っ越してきた理由が理由だけに、母親は ずいぶんばあちゃんや親戚にきついことを言われたらしい。
それがストレスになって、専業主婦で家にいた母親は酒に逃げた。
毎晩飲む量がどんどん増えていって、母親の自室が酒の缶と瓶で溢れかえっていった。
そんで泣きながら、当時小学生だった俺と弟に「あの婆、私を殺す気なんだ」「あの人がいるから私は生きているのがつらい」なんて愚痴るわけ。
当時は俺たち子供はバカだった。母親の言葉を鵜呑みにして散々ひどいことを言った。
「お母さんを虐めるな!」「くそばばあ!」
大人になってから祖母には土下座して謝ったが、本当にひどい孫だったと思う。
口調はたしかにきついけど、笑って許してくれたばあちゃんは やっぱり人間が出来てるんだと実感し、さらに申し訳なくなった。
22 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:51:22.89 ID:9jb/TwTm0
ふむふむ
23 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 19:58:26.79 ID:8dWWD3ZSO
俺と弟がいくらかばっても優しくしても、母親の酒の量は変わらなかった。それどころか どんどん増えていく。
中学に上がって、だんだん俺にも自我ってやつが確立してくると、母親がひどく駄目人間に思えた。
毎日毎日、自室で酒ばっか飲んでる姿を見るのがつらかったし、恥ずかしかった。
3者面談に酒とタバコの匂いプンプンさせて来るのも恥ずかしかった。どんどん母親に嫌悪感を覚えていった。
俺はその頃から母親を庇うのをやめた。母親は気にくわなかったんだろうな、俺に暴力をふるい始めた。
母親愚痴る→俺が相手にしないor説得する→殴る蹴るがもはや日常になってた。
父親は庇いもしない。母親に対して冷めた目で見てくるだけ。
そのうち父親もあまり家に帰ってこなくなった。
夫婦って、家族ってこんなんか。
こんな人らの血が入ってんだから、俺だって家族できたらすげー悲しませるかもしらん。それなら俺は家族なんて作りたくないな。
その頃からそう思い始めていた。
26 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:06:02.67 ID:8dWWD3ZSO
とにかく自立したかった。
1人でも暮らせるような仕事について、家事もできるようにしたかった。
幸い ばあちゃんは家事を教えてくれたから(口調はきついけどなww)毎日学校通いながら家事手伝いして、生活力が徐々についてきた。
そんなこんなで中3にあがり、受験生になった。親父に経済的負担をかけさせたくなくて、高校は県立受けた。
落ちた。ストーンと。
滑り止めの私立は幸い学費は ほぼ県立と変わらなかったが、制服代や入学金はやっぱり結構した。
申し訳なくなってばあちゃんと親父に泣いて謝ったが、快く学費を出してくれ、高校に通わせてくれた。
母親は「県立落ちるなんてバカじゃない」と俺を殴った。
離婚したらいいのに、と思った。
28 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:09:38.88 ID:8dWWD3ZSO
親父はあまり家族関係とか教育とかにはあまり口出ししなかったけど、唯一言われていたことが「部活には入っとけ」だった。
勉強だけじゃ学べないことがいっぱいあるからって。俺も弟も小中高と部活にはちゃんと入った。
その高校の部活で、今の彼女と出会った。
29 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:10:36.64 ID:hIDeFIpn0
>>1には申し訳ないがお前の母ちゃんクズだわ
でも産んでくれてありがとうっていっとけよ
今の幸せは親が産んでくれたおかげなんだからな
32 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:24:07.03 ID:8dWWD3ZSO
>>29
うん。社会出て初めてそう思えるようになった。
今は何してるのかわからないけど、なんとなく親父に所在聞いてみようかな…
話してみると、彼女は ただのがり勉ではなかった。ゆとり世代には珍しい変人だっただけだった。
口調がじいさんみたいで、無駄なことは一切しない。
勉強は成績良くしたいからしてるんじゃなくて、単に好きだから。(たしかにやる教科が片寄っていた)
映画館とかカラオケみたいな娯楽にも一切興味なし。今までプリクラも撮ったことない。
でも世の中の出来事や ものをまっすぐ正直に見れて、自分ってものが持てていた。
それは俺にはないもので、密かに尊敬してた。
まあそれでも3年間全く恋愛感情もたずにそのまま卒業したわけだが。
27 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:06:58.11 ID:ZUbIiCM20
良かったじゃねーか!おめでとう!
今後大変だと思うがしっかりやれよ!
爆ぜろ
んでチリとなれ
30 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:16:24.91 ID:8dWWD3ZSO
>>27
おう。チリになるまで彼女愛するわwww
彼女は俺と同じクラスだったけど、あんま喋ったことなかった。
なんていうか、がり勉ぽく見えたんだな。毎日本読んでるか勉強してたし。
俺、バカだったからクラスメイトとバカ騒ぎしたりしてたから彼女とそんな接点がなかったんだわ。
だから部活に入ったとき、彼女のことクラスメイトだって気づかない俺最高にバカスwww
むしろ大人びてたから先輩だと思ってたせいで、初めて彼女と会話した会話が
俺「あ、今日から入部しました〇〇です。よろしくお願いしm」
カノ「あwwはいwww知ってますwww」
もうwww死にたいwww
31 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:17:09.49 ID:K3LHRGwf0
部活なに
33 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:32:59.20 ID:8dWWD3ZSO
>>31
合唱だ。
歌好きなんだ。
あ、そういえば母親と父親は俺が高校生のときにようやく離婚した。
双方に俺がずっと「頼むから離婚してくれ」と言い続け、親父から離婚届け突きつけた。
親父は母親から俺と弟の親権もらう代わりに、母親に慰謝料を払うことになった。
弁護士さん間に挟んで決めたことらしいが、俺には どうしても納得いかなかった。なんであんな母親に金払うんだ、と。
それでも親父は困ったように笑っただけだった。
いま思うと、親父は母親のことが好きだったのかもしれない。それこそどうしようもない人でも。
高校卒業して専門に入学した。
人生って面白いもので、別に気を使ったわけでもなく自然と親父と同じ職種を選んでいた。
高校の学費の申し訳なさもあって、専門の学費は奨学金借りた。親父は泣いて喜んだ。
母親が家を出て、ようやく安定した家でお祝いした。
ばあちゃんが作ってくれたチラシ寿司がうまくて涙でた。
34 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:39:24.47 ID:8dWWD3ZSO
高校卒業してからも彼女との付き合いは続いてた。いい友達だった。
20歳になって初めて酒飲み交わした友達は彼女だった。
思い返してみると、多分その頃から彼女のことを少しずつ好きになっていたんだと思う。
でも気づかなかった。近すぎたのかもしれない。
でも あるときいつもみたいに一緒に遊んでたら、なんかお互い変な感じになった。
口数が少なくなって、急に相手の顔が見れなくなった。
恥ずかしくてドキドキして、なんか笑いしか出てこなくて、そんとき初めて「こいつのこと好きかもしれない」と思った。
激しく恥ずかしいんだがまだ書いてていいだろうか。
36 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:42:05.60 ID:C5PGREyL0
読んでるぞ
37 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:43:13.13 ID:hIDeFIpn0
最後まで書いてください
38 :名も無き被検体774号+:2011/12/05(月) 20:44:42.06 ID:Y8YCFRDq0
支援。
俺も今ガキが二人いるおっさんだが、金銭の余裕はないが嫁と四人で幸せだ。
幸せにな。
続きも読ませてもらう。
>>次のページへ続く