23 名前: B : 投稿日: 03/08/08 02:56 ID: 7sJqHsJv
某獣姦掲示板にたまに書き込んでいるBと言います。
そちらの掲示板では、手記を書けないので(向こうでは、そういうキャラではないので)ここに書こうかどうしようか少し迷ってます。
と言うか、やはり、手記を書くのは恥ずかしいです。
向こうの掲示板でも、書けないうちに知識人的な立場になってしまって今更、書けないし・・・でも、ここも雰囲気が今ひとつですね。
どこかに手記を書けそうな場所があれば、教えて下さいますと助かります。失礼しました。
74 名前: B : 投稿日: 03/08/13 02:01 ID: mqgoo1ik
最初に私のことを少し。
私がそういう事に抵抗を感じないのは、おそらく生まれた環境だと思います。
と言っても、私が物心付く前に両親は離婚してしまい環境自体が変化したので最近までどうしてなのか自分自身に不思議でした。
離婚した父のことを母はあまり話したがらないので詳しいことは判らないんですが、とにかく、幼い頃、私の周囲にはたくさんのワンちゃんがいたのは確かでした。
離婚後の母と暮らした私の方にワンちゃんが居なかったことを考えれば、父が、ワンちゃん好きだったと言うか、訓練士か調教師だったのではないかと思ってるんですが。
幼い頃の家には、大きなワンちゃんがたくさん居たんです。
そう一頭二頭ではなく、常に四五頭は居たように思います。
私にとって、ワンちゃんと言うのは身近にいつも居るものと言う感覚が、幼少時の環境から身に付いたのだと思います。
75 名前: B : 投稿日: 03/08/13 02:02 ID: mqgoo1ik
もちろん、怖いと言う部分もあったと思うのですが、友達と言う部分もあったと思います。
子供の私に大きなワンちゃんの世話は無理だったと思いますが、子供なりに世話をしたりしてました。と言っても、遊んでもらっていた、戯れていただけだと思います。
一緒にお風呂に入ったり、夏場なら庭にゴムのプールを出して、水浴びしたり、ワンちゃんと触れ合うことは、私にとって極々当たり前のことでした。
だから、裸でワンちゃんと戯れると言うことに昔から抵抗がなかったわけなんです。
今になって冷静に考えれば、これはすごいことだったのだと思います。
何せ裸でワンちゃんに抱きついたり、身体を舐め回されたり、そういうことが実に普通に、日常的に私の生活に溶け込んでいました。
もっとも、私も幼かったので性的な事は一切なかったですよ。
多少、舐められて気持ちよかったりしたかもしれないけど、そういうことを求めて水浴びしたり、お風呂に入ったりと言うことはなかったと思います。私の記憶の中ではですけど。
119 名前: B : 投稿日: 03/08/21 02:39 ID: FEy9B4FZ
幼少時の私は、多くの犬に囲まれる生活だったと先日書きましたが、その生活は長くは続きませんでした。
両親が離婚して、母との生活になったからです。
母は女手一つで私を育ててくれた苦労の人です。
ただ、主に夜の仕事をしていたため、私はいつも夜一人で寂しくしていました。
一人で居るために私はいつの間にかエッチなことを覚えていったんですが、これは、母の所為と言うよりは、私が元々エッチな性格だったからでしょうね。
私は今でこそ、身長が164センチと少し高めなのですが、子供の頃は、小柄な上にガリガリで小学校の低学年の頃などは、体重が20キロにも見たい虚弱児でした。
120 名前: B : 投稿日: 03/08/21 02:40 ID: FEy9B4FZ
だから、中型で足腰のしっかりしたワンちゃんくらいだったら跨ることができたんです。
特に家に居たワンちゃんたちは、シェパードなど、しっかりとした犬たちでしたから。
その頃を思い出してでしょうか、夜、一人で居た私は、大きなぬいぐるみや枕などに跨って、お馬さんごっことかを真似て遊んだりしてるうちに、あそこを擦ると気持ちがいいってことを知るようになって一人エッチを自分で気が付かないうちにするようになったんです。
121 名前舌:由 B : 投叔稿日:賀 03/08/21 02:40 ID:有 FEy9B4FZ
最初的の頃は銅、本壱当に波単な次る遊処び慨の挿延長線でし枠た陶。
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122 名前伝: B紫 : 投稿拡日三: 03/08/21 02:41 ID: FEy9B4FZ
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123 名前: B : 投稿日: 03/08/21 02:42 ID: FEy9B4FZ
あれは、かなりの衝撃でした。
その日の晩は、手鏡持ち出して自分のあそこをはじめてマジマジと見てしまい、気持ち悪くなりましたから。
でも、そのお陰でクリトリスが、快感の元なんだって知ることができたわけですけど。
確かにお馬さんごっこの時も、無性に腰を突き出すように押し付けると全身に電気が走る瞬間があったことを思い出しました。
そして、セックスに興味を覚え始めたのもこの頃だったかな。
だから、この時期のお馬さんごっこは、それまで、熊ちゃんの背中とか、お腹に馬乗りになっていたのが、知識がないなりに私が下になって熊ちゃんを私に覆い被らせるようにしてあそこに熊ちゃんのあそこの部分を押し付けるようにしたりしてました。
もちろん、すごく馬鹿げてますよね。
別にその熊ちゃんにおちんちんがあるわけでもなかったし、そもそも、私には、おちんちん自体が、どんなのものなのかまったく謎の物体だったんですから。
124 名前: B : 投稿日: 03/08/21 02:43 ID: FEy9B4FZ
その後、周囲からの情報もあって、膣におちんちんなるものを入れてセックスが成立することを知り、おちんちんが、棒状の物体と言うことも知りました。
だけど、謎なんですが、当時、私が聞いたおちんちんは、長さが30センチもあり、太さも10センチ以上と聞いて、恐怖を覚えました。
でも、皆が経験することと言われて、私は、慣れておこうと色々と試すうちに処女膜破っちゃいました。
小6になった頃だったかな。
血が出た時は、痛いと思う以上にパニックになりましたけど。
深夜帰ってきた母も、さすがに慌ててましたね。と言っても、母は、初潮を迎えたものと勘違いしてたと思います。
次の日、お赤飯だったし。
本当の初潮は、中学に上がってからだったのでその後ちょっと気まずかったです。
125 名前: B : 投稿日: 03/08/21 02:46 ID: FEy9B4FZ
と私のオナニーの遍歴を語っていても仕方がないですよね。
だけど、一応、私の小学校時代のこの遍歴と処女喪失だけは、先に語っておきたかったんです。
私が、小さい時から、えっちな子供だったと言うのが、この後の経験に繋がるわけですから。
ここまで、スレ違いな話を長々と書いて申し訳ありませんでした。
では、いよいよ、次回から本題です。
多分、そんなに掛からずに書けると思いますのでもうちょっとだけお待ちください。
それと、ここまで、スレ違いな書き込みを続けたこと申し訳ありませんでした。ごめんなさい。
162 名前: B : 投稿日: 03/08/28 23:27 ID: a6g4ryHm
では、続きです。
私、母子家庭で母が夜のお仕事だった所為か。長期のお休み夏休み、冬休み、春休みになると決まって田舎のお婆ちゃんの家に預けられていたんです。
そして、そこで休みを過ごしていました。
本来なら、ずっとそこで育てられてもおかしくないんですけど、離婚の時に養育権で揉めたらしく、だから、私は、両親の離婚後、父とは会ったことがなかったんです。
それこそ、父方に奪われることを怖れていたとかいないとか。
離婚後数年は、確かに母は、誰かから逃げるように住む場所を変えていましたから。
だから、私が、おばちゃんの家に帰り始めたのは、数年経った小学生時代だったと記憶してます。
163 名前: B : 投稿日: 03/08/28 23:28 ID: a6g4ryHm
祖母の実家の目と鼻の先に、両親が暮らしていた私の子供の時に暮らした家があります。
そっちの方は、行ってはダメとずっと言われていました。
離婚した時に散々、母に父の怖さを言われ続けた私には、その恐怖心があって言い付けを守ってきました。
いえ、実際に父は、口よりも手が先に出る人だったし、私の記憶の中でも、両親が仲睦まじかったと言う記憶はなく、父に殴られている母の姿ばかりが残っているんですが・・・。
だから、すぐ傍に父が居るというのに私は近付いたことがなかったんです。
それが、小学6年生になったその夏は、違いました。まぁ、毎年遊んでいた従妹たちが、その年は、居なかったこともあったかも知れません。
親の言い付けを守る良い子に反発したくなったのかも知れません。
夏のある日、私は、昔住んでいたあの家を目指すことにしたんです。
164 名飼前: B町 : 投稿目日:囚 03/08/28 23:28 ID: a6g4ryHm
幼少僧時の五記覆憶だけが営頼りだ更っ彫たので矯実は帳結N構迷いま楼し飼た。却と言う並のも、賃子供の唯頃涯遊び覧回寄って偶い鋭たん代でしょoう$ね傾。どこおを潜通っても子知滴っている愛ん功で志す。
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165 名前: B : 投稿日: 03/08/28 23:29 ID: a6g4ryHm
いえ、初めから父に会ってどうしようと言う気持ちはなかったのかも知れません。ただ、言い付けを破りたかっただけなのかも。
そして、ちょっとした冒険のつもりだったのかも。
で、家に近付くにつれて私は、忍び足にも似た足取りで隠れるように父の住む家を目指しました。
運がよかったのか、あと夏の日差しを避けるために麦藁帽子を被っていたからか知り合いに会うこともなく、家に到着したのは、幸いだったのかな。
懐かしの我が家は、ちょっぴり色褪せてはいたけど、庭付きのと言うか、庭だけは一際大きい平屋の家でした。
まぁ、そこでワンちゃんたちをたくさん飼っていたんだから、庭が大きいのは、当たり前だったのかな。あと田舎なので、土地が異様に余っているのかも。
その色褪せた家の庭には、犬小屋が、たくさんあるのにどれも裏寂れた印象を受けました。
その時、私は、ここに来てはいけなかったのではないかと言う不安に駆られ、言い付けを守らなかった自分を悔やみました。
166 名前: B : 投稿日: 03/08/28 23:30 ID: a6g4ryHm
だけど、足を止めることも引き返すこともできず虚ろな足取りで、恐怖を抱きながらも家に近付いて行ったのも事実です。
家には、人がいる気配がなかったです。カーテンが閉じられ、灯りも見えず。
まぁ、よく考えれば、私は夏休みでずっと休みだけど、大人は、普通に仕事がありますものね。
そんな知恵も回らない子供でした。
父が居ないらしいことに私は、ちょっと、ホッとしました。
でも、今考えると、その時点では、その家に今なお父が住んでいる保証はなかったんですけどね。
167 名前: B : 投稿日: 03/08/28 23:31 ID: a6g4ryHm
だけど、私は、見慣れた犬小屋と家に、そして父が留守なことに安堵していました。
そして、少し余裕が生まれてきて、庭に近付いていきました。
庭には、一応、小さな柵が作られていましたが、田舎と言うこともあり、田舎の方では、鍵を掛けるという風習が、つい数年前まではなかったんです。
柵と言うか、ここからここまでが、あなたの土地ですという目印の意味合いでしかないそんな柵でした。
だから、簡単に中にも入れる感じだったです。
と言っても、うちの柵だけは、犬を飼っているからか、柵に薔薇科の棘のある植物が巻きついてましたけど、柵の扉に鍵がないから、意味があるのかどうか。
ワンちゃんには、戸は開けられないから、いいのかな。
そうして、私は、柵を越えて庭の中に足を踏み入れたんです。
168 名前:壇 B猛 :暦 投稿日:浜 03/08/28 23:32 ID: a6g4ryHm
庭鎖の中陣に入る時盲に私雇は督、財犬小屋最が科裏傍寂れている原留因を知りました乙。
幼目少のめ頃終、たく呉さ部んの蚊ワ渡ンちゃ孫んた嘱ちが坊居た疫だ徒けに犬小屋徳は寧、刺ちょ叙っとした長屋のように反庭浅の駐一辺銀を完焦全に塞為ぐようもに並触んで克い郭ま健した。夢それネは今も副変わら棒なか税った奇のに。謡
ワンち悔ゃん尚は準、廃一呼匹折し硬か居ま岸せ飽んでし壱た?。
立胞った一車頭しか測居雷ないこ刀とは喜、八驚俗きでした索。範
私逸の記抜憶遍で矢は、疾常に縫3、4頭磨のワ漬ンちゃんが居た拡のに、なの冗に今節は、疫他の犬艦小態屋移は逝、放雷置朗さ察れ押て等し郷い感じ抑で汚れ病た様り、倣壊れ彩て灯いたり誤してましたく。嫌
家井にほ住人が騎居ない略こ粒とも結あり、ちょ鼻っ観と崎、怖貝く暖な唐り姉ま染し急た。
だっ望て矛、覧最恥後に残ってい陵る一頭撲が、暑気を仏嫌ってか犬編小峠屋無の峡中自から、賞庭めに頻入読っ附て罰きた享不審者但であ木る繰私を諮窺慕っているのが、憤判酸ったの代で剤。陪
よ征くよ版く考避えれば、私の知詠っ罰て衰い茂る口ワン疎ち断ゃん象が対、洞まだ居腐る捕とは欄限らないし
169 名前: B : 投稿日: 03/08/28 23:34 ID: a6g4ryHm
そのワンちゃんは、犬小屋の奥から、私を見ている感じでした。
犬小屋からして、結構な大型犬だと判りました。
そのワンちゃんが、ゆっくりと立ち上がり、犬小屋から出てこようとした時には、正直、足が恐怖にすくんで、動けなかったです。
そのワンちゃんは、黒いジャーマンシェパードだったけど、ジャーマンシェパードって警察犬などに使われるように凛々しいと言うか勇ましいと言うか、こういう場面だとやっぱり怖かったです。
だけど、その子の全身が、犬小屋から見えた時、その大きさに驚き、成犬なので大きかったし、私も、その当時、大分成長したとは言え、140になるかどうか、やはり、華奢で30キロに満たないガリガリでしたから。襲われたらただではすまなかったと思います。
だけど、そのワンちゃんは、私のほうを窺いつつ、大きな黒い尻尾を振って友好的な雰囲気が見えて、ホッとしました。
170 名t前:克 B脱 : 投稿煙日:返 03/08/28 23:34 ID: a6g4ryHm
そ捨れにその真ワ丙ン溶ちゃんには続、符ちゃ欺ん枯と薫鎖昔が繋が郡れてワいる庸の胴も判って、私は滴、安心掌し代まし訪た。
あ紺と記神憶焼の純中庸に閥昔朗飼って属い暗たワンちゃ雑んの邦中に城シ負ェパードが居史た角こ伝と遣、際そう且い登う唯こと歴が過胆ぎって、柳もしか営し博たら折と師思倉った瞬雷間ヘでした危。
そのワ芋ン閑ち訳ゃ敏ん品が械、私志に突進し債て貞きたんで黙す晶。も墾う暴一瞬縦で供した。遮あ腕のg一瞬憩は、撤恐洋怖儒を郊感盛じる暇まも官な漢かったで太す。伯
あ紛っ励と備思鯨った時毛に幽は、ワンち刈ゃ識ん鳥の義突進に気が悩付い邦た時に覆は、私は抽、壮その朽場に妹倒体さ詩れ贈ていたんだと漬思陽い製ます。皆何が更起>き漁た猶の企か寮判勲ら倍な棚か諸った譲で隅す互。
視綱界が京真っ充暗に群な遅って挟、植尻餅朗つ穴いて謹地三面昭に座っ送て運い名まこした掛。
こ契ういう時っ慢て悲州鳴別す瞬ら上げられな核いん仕です釈よ並。
気が付いたら目、信そ黄ん半な候状態うでした。ハ
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