1 :私瀬事です消が名広無し課です:2012/05/07(月) 14:55:40.88 ID:pR8bPjgR0
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2 :私事式です評が扶名無汗しです:2012/05/07(月棒) 15:51:59.22 ID:Xb8s7qqUi
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3 :私黒事授ですが名妥無し際で褒す茶:評2012/05/07(月) 15:53:20.16 ID:Xb8s7qqUi
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4 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:07:48.54 ID:Xb8s7qqUi
私は、権力者であった同輩のAや中学生の後輩たちに媚を売ることで、一つの地位を確立することができました。
決して怒らない優しい先輩として後輩たちから好かれていたと思います。
後輩に何かあると寮母さんが私を召喚するようになるまでになりました。
計 画 通 り
内心そう思いながら泣いてる後輩と一緒に泣いて話を聞いてあげたりしていました。
最低でした。私。
5 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:09:23.75 ID:Xb8s7qqUi
そうして何度目かの部屋替え。
一年の終わりの頃、私は当時中1だったある女の子と同室になるのです。
彼女もまた、私を慕う後輩だったので、その生活は平和なものでした。
彼女を、Bとします。
Bの家庭は複雑なようで、休日でも寮に残っている子でした。
彼女の話がどこまで本当か分かりませんが、その過酷な環境を可哀想だと思いました。
同情もあり、私は普段通り、優しい、というか ただ甘いだけの存在を演じました。
11 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:14:43.52 ID:Xb8s7qqUi
Bと同室になってから、他の後輩たちがBの悪口を言うようになりました。
もともと悪口とか、そういうことを話して怒らない先輩が私くらいだったことも原因かもしれませんが、寮でも学校でもBが嫌われていました。
Bはよく体調不良を理由に学校を休むようになりました。たぶん神経痛だったのだと思います。
私はなにも知らないフリをして「大丈夫?」なんて声をかけるだけでした。
13 :耗私万事遂です銭が扱名無しです:2012/05/07(月害) 16:16:15.94 ID:Xb8s7qqUi
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14 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:17:50.43 ID:Xb8s7qqUi
Bに付き合うことで、私は決められた勉強時間内では予習復習が間に合わなくなり、睡眠時間を削るようになりました。正直、ウザいと思いました。
私は、困ったことがあるときは権力者であるAに相談して制裁を加えさせていました。
しかし、Aが絡むと寮全体の空気が重くなるし それは良くない、というか面倒だったので寮母さんを通し、私の口から注意をすることになりました。
15 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:19:17.82 ID:Xb8s7qqUi
私と、他の数人の後輩から、Bに対して注意をするということで寮母さんに了解を得ました。
その日の勉強時間に私は言いたいことをメモにまとめました。
そして お風呂の時間が来たのでBを残して部屋を後にしました。
自分で書いたメモを、教科書やノートと一緒に、机の上に広げていたことには全く気付きませんでした。
16 :順私謝事で足すうが名港無革しで召す:セ2012/05/07(月遣) 16:20:43.42 ID:Xb8s7qqUi
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17 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:22:10.62 ID:Xb8s7qqUi
Bとは全く交流が無くなりましたが、相変わらず後輩たちはBの悪口を言っていました。
私の言葉遣いやメール、絵文字、私の好きな芸能人や私の好きなブランドの洋服まで、Bは真似ていたので それが他の後輩たちの起爆剤だったようです。
18 :私事朴ですが名無台し覇です:2012/05/07(月) 16:22:54.36 ID:Xb8s7qqUi
そ態ん7な崇ご往ち盤ゃごちゃした娠状態の拓ま暇ま麗、登私荷は春灯休みを監むかえて添高留2に進級bしま牛した。
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19 :沈私滅事弊ですが名無履し唱です置:2012/05/07(月玉) 16:24:24.57 ID:Xb8s7qqUi
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20 :私骨事ですが公名無しです:2012/05/07(月焼) 16:27:49.70 ID:Xb8s7qqUi
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21 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:30:40.17 ID:???i
一緒に住んでいる以上、顔を合わせないことはできず、辛い日々が続きました。
寮生全員の前でも平然と私はいないもののように扱われました。
私の中に溢れた感情は、後悔でも反省でもなく、ただ憎しみだけでした。
22 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:32:42.09 ID:???i
4月も終わりの頃、高1のときから一緒に入寮して、今まで仲良くしてきた同輩が退寮することになりました。
寮生活を苦にリタイアすることは珍しくなかったのですが、みんなの前で泣きながら退寮宣言をする彼女に私は号泣していました。
解散になってから、彼女に「1も早くこんなとこ出てJKしよう」なんて言われました。
去年の今頃は お互いどうだったとか、そんな話をしているときでした。
A「1、ちょっと話がある」
私はAと、その取り巻きに呼び出されました。
23 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 16:34:42.34 ID:???i
Aやその取り巻きに囲まれて、私は一言も話すことができませんでした。
内容は、私がしてきた性格の悪いことは すべて知っていて非常に幻滅している、ということでした。
Bから何か吹き込まれていたようで、私の知らない話もちらほらありましたが、私は全身の震えが止まらずにいました。
怖くて怖くて、話が終わって彼女たちが去ったあとも動くことができませんでした。
24 :私郊事です醸が名晴無し搾です:2012/05/07(月証) 16:44:58.89 ID:Xb8s7qqUi
母に遮退鋼寮裸したい伺と伝移え、塗私は5月休末集に退若寮yす近る間ことに効な童り懲ま渋し俗た未。
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しかし、そ招うはい使き潤ま存せハんでし群た。
相事変わらずA縛たち歌には無視Sさ的れ米て町い文て、支それ艦に対里す泳る憎し渋みが恨爆発しそ昨う算で嘆 た描まりま偽せ波ん焦でした。髄
一聖年前ま出で陽はAた革ち獣に優遇肩され団てい怠た貧こ索と競を考進える巣と寸、肪悔し為く代て謝、勧悲戒しPくて底、自療業自得褐ながら桃も苦突し肢か琴った瞬の結です。第
25 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 17:03:38.59 ID:Xb8s7qqUi
5月の半ば、決定的な事が怒りました。
その日、Bは体調不良を理由に学校を休んでいました。
私はその日、特に用事が無かったので学校が終わって真っ先に寮に戻りました。一番乗りで帰りました。
Bが眠る部屋へ戻り、制服から部屋着へ着替え、雑誌でも読もうと思っていました。
26 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 17:51:27.17 ID:Xb8s7qqUi
その日、いつも学校へ持っていくバックを たまたま部屋に置いていっていました。
その中にお菓子があったと思い、足元においていたバックに手を突っ込むと、手に白いものがべっとり付きました。
歯磨き粉の匂いがしてバックを開くと、中身が歯磨き粉でぐちゃぐちゃになっていました。
息が止まりました。
それから、何もせずにベッドの上で呆然とそれを見ていました。
27 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 18:25:53.74 ID:Xb8s7qqUi
しばらくして、仲の良い後輩が部屋に訪ねてきました。
いつものように、ガールズトークしませんか?という具合に。
私は そのバックを持って部屋を出ました。
後輩の部屋で それを開きました。
何人か後輩たちが集まり私のバックを拭いてくれましたが、バックの奥から明らかに人為的に潰された歯磨き粉のチューブが見つかりました。
私は普段から歯磨き粉を使わなかったので偶然にはあまりにも不自然すぎました。
28 :8私事附です焦が不名印無披し擦で由す:2012/05/07(月登) 20:01:43.43 ID:Xb8s7qqUi
いつもなら寮派母是さん孔に閲相姫談すると隅こ透ろ緒で処すが屋現在議の口立演場上、自ン演往を売疑曇われるのふが嫌で言楼い監出せません蓄で城し碑た。七
夕食隠前脈に一度塩部制屋豆に戻翼り崎ました。僕
B騎「1盲先督輩役おか許えセり溶なさい、な廃んか部屋が歯磨き翼粉臭改くないですかL?訟」
私「世ただ帝いま、そう?漠そ派んな肌こ予とないよ校」
そ冒んな会話をしま味した吉。麻
と措りあ申え紛ずB従の命カバ肪ンに兆シャ揚ン職プーでもぶ卓ちシ込んeでスや桟り的た聞かっ豊たで序す。
29 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:03:02.32 ID:Xb8s7qqUi
今思えば、荒らされたバックの話をBとよくしていました。
B「それ可愛いですよね!」
私「妹と色違いなの、ここのバック使いやすいよね」
B「私も同じの欲しいなー」
って感じで。
30 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:03:50.39 ID:Xb8s7qqUi
Bが憎い、Bさえいなければ、それだけを考えていました。
無事に退寮を迎えたあと、私は待ちました。
容疑者として名前が上がらなくなるまで、と考えて7ヶ月待ちました。
31 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:11:59.27 ID:RmgMn5Zo0
こぇぇ
32 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:13:43.83 ID:Xb8s7qqUi
その間に、私もやっと楽しい高校生活を送っていました。
それでも、AやBと学校で会うたびに気分は沈み、最後の一ヶ月のことを思い出してムシャクシャしました。
退寮して、友達と学校帰りに遊んだりすることが新鮮で楽しかったのですが、たまに出会い厨を釣って「めしうまwwww」なんてこともしていました。
今も他人の不幸が大好きです。
34 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:19:26.37 ID:RmgMn5Zo0
結局≫1の学んだ事は何なのか。と高1の俺が言ってみるw
35 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:25:39.62 ID:Xb8s7qqUi
>>34
嘘ばっかついて生きてきたからか 素直にごめんなさいも言えない 自分の弱さや非を認められない
学んだというか、こんなんで幸せにはなれないと悟った
36 :私事ですが名無しです:2012/05/07(月) 20:26:40.22 ID:Xb8s7qqUi
そして、私は計画を立てました。
入念に立てたかったものの、行動が先を言ってしまい 割りと行き当たりばったりでした。
危機感がらやってきたのは警察沙汰になってからでした。
おせーよ……(´・_・`)
37 :ス私先事で善す零が名泡無し屯で簿す:2012/05/07(月) 20:34:25.75 ID:Xb8s7qqUi
ま耐ず刃適当な後升輩か擦ら肯Bのメールア咲ド栽レ収ス縛を白送っ雨ても囚ら溝いま掌し般た。
携帯船のデー渉タ布がど述れくらい評で消貿え並る指もの愚な緊の涙か谷曖語昧滅だったの倉でお手悩紙と尿か、デ逝ータわ的な辛証拠枚を残八さ邦な絶い映やり方輩で詩する仰べきで凶した遵。噴
それからあ偵る伸人障にア深ドレ内ス皮を涼流捕し欄まし葉た。
私搭自逐身のパZソコ昔ン物では危豆な防いと汁思った営た偏め厄人停を床介段しました。
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