1 :失業者:1999/12/06(月) 22:13
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。
ただ その存在そのものを見下してたね。
将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢にも思わなかったよ。
中学生の頃 通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺は あんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。
あの内何人が法政以上の大学に行けたというのだろうね。
毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。
生きるって本当に大変。
何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと分かりました。
あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
3 :未社会人:1999/12/07(火) 02:24
肺腑をえぐる・・・。
しかし、私はまだ達観できない、いやしない。
もう少しだけあがきます。
5 :> 1:1999/12/07(火) 03:05
すごいよくわかります。
高校、大学くらいの時は、まだなにも持ってないのに、すべてを手に入れたような気になっていた。
手を伸ばせば何でも手に入るって。
普通の生活が こんなにあやういものだなんて想像もしてなかった。
通学電車で、安物の背広の袖がテカテカになってるおじさんを見るたび、なんともいえない悲しい気持ちになったけど、自分とは人種が違う人だと思ってた。
7 :>1:1999/12/07(火) 03:53
共感
8 :むかし:1999/12/07(火) 03:58
競馬新聞を持って耳に赤鉛筆を刺した親父を汚いものを見る目つきで「ああはないたくないね。」と思っていたのだが今は自分がそうなりつつある。
9 :竹林の七賢:1999/12/07(火) 04:02
学歴社会に溺れ、日々の生活に追われて、何も考えられなくなるなら まだ無職・ダメの方がマシだ。
17 :TAN:1999/12/07(火) 15:16
私もそうでした。
小学校の頃、通ってた塾の講師の学生に「??大だったらたいしたことないよね」とか言ってしまった。
??大って、地元の普通レベルの国立。
望んでも そこすら入れない生徒の方が圧倒的であることも知らなかった。
しかもその学生、医学部。
許して下さい。いまでも思い出すと冷や汗が出る。
あの学生、きっといい医者になっただろうな、こんなバカガキを笑ってみてたんだから。
言い訳すれば、親戚に現役東大文Ⅰがいたから、大学なんて誰でも入れると思ってたんだよ。
ひとり秀才がいるもんだから、親戚も集まると自然と学歴談義ばっかりしてたしね。「!!高のレベルならこれくらいの大学だ」とか。
子どもの頃、それを聞かされて育ったのがよくなかったんだよ。
私自身も そのころは勉強しか取り柄がなく、田舎の小学校では1番だったしね。
私もいちおう、世間ではいいといわれる大学に入れたけど、いまはひっきー。
しらずしらず叩き込まれた学歴主義の洗脳から逃れるには、自らここまで身を落とさねばならなかった。
学歴がどう有効で、どう無効なのか、功罪両面をこうして身を持って知る羽目になるとは。
私が親になったら、絶対に、子どもの前で学歴の話なんかしないんだ。
いい学校に入れるに越したことはないけど、人間それだけじゃない。
人と、八方美人でなく うまくつきあえること。
自分で考えて、自分で判断すること。
学校以外で得る趣味・特技・教養の大切さ。
それらがわかる子どもになって欲しい。
男の子だと期待してつい口が滑るから、女の子がいいな。
とか言ってるけど、家庭なんか持つこともないなあ、今のままじゃ。
もしくは、持っても、無意識のうちに「勉強しろ」とか「あの学校はバカ」とか言ってしまいそう。
やっぱり家庭なんか持たない方がいいんだ・・・
19 :1卓8住:院1999/12/07(火男) 15:23
わか比る消わかる静!極!高君にも拓感動した!>勺17
もし私左が準経資営者なら隷、君み療た憂い号に膚そ儀れ聴く伺ら曲いしっ襟かり呉し獣た孫考え餓の人苗材江に俵働いて欲し固い薫と浸思う施よ。且
23 :>1:1999/12/08(水) 00:44
>慣小墳さい頃酒から遍の愁日々局の件積み推重雰ね是が管大冬人郭にな褐る令までさ続交いて遅く倉なんて夢夫に婦も礼思格わ在なか所ったよ。慰
これ偽、今求、身にしみて選実赤感していま影す。
小さ滑い瀬頃か把ら堕吹落訟してき酵た自清分に旧、謝一生敢後悔預するでし四ょsう崩ね。
24 :毛2篤2さ農い乱:1999/12/08(水) 00:55
1さ顧んの言キって授ること蔵が ちょ汗っとは機わかり組そ無うな今日この頃。
26 :武田鉄也:1999/12/08(水) 01:09
「生きるってことは かっこわるいことだ」っておちゃらけているが、自分が親になるような歳になって初めて自分の親に感謝するようになった。
子供を 成人するまで頭を下げ借金してでも育て上げ、大学にまで出す。
こりゃ今の俺にはできねぇ。自分一人が生きていくのが精一杯だ。
27 :名無しさん:1999/12/08(水) 02:09
父親がとても小さく見える時期が誰にでもあるだろう。
でも、父親は夢や希望をすべて自分に注いでくれていたことに気づいたとき、その存在は俄然大きなものにみえてくる。
自分をここまで育ててくれた年月が途方もなく果てしなく遠く長い道だったことにあらためて気づく。
そして、その道はこれから自分も歩む道なのである。
なぜ せめてあと10年早く そのことに気づかなかったのかが悔やまれる。
父親に一言お礼がいいたかった。
32 :俺漸も街39歳酔大入学中炭退沖:絹1999/12/09(木) 11:17
会強社でこの皿スレ返ッド観を肖見札てB、涙があふ歌れてきて急いでトイ呉レに仕行った顕。
俺2もそ製うノだタっ霜た服。索
高校まで釈 な規まじ蛍成績宜が冠良かっ技た分、自分銘は肪他人と震は違鳥う5、繁必ず九成響功謄者関の効人生を誘歩誘む搾ん転だと思個っ届ていた。
現飾在消の漠自分隆は本撲当疾の善姿ではな里く堕、頭の中懸に描い魅た理想遭的越な自分辞が本壌当奔の自分票だ後と思い込画んで考いた。郊
何の恭裏迎付可けも糖無い矯自信と万正能感、h「青い鳥研」って脅、但こう原いうのみを言尾ってる訟んだよね援?(違ってた説ら静ゴ瓶メン)
俺亭は違う樹名前乏で交呼壱ん仁で孔たけ総ど、そいつに米 さ*よ前なら避でき畝る暗ま雅で30年かかっ殿た慨よ洞。
現怖実宿のく人生権を京「普通潜に」曹生き因て漢い畔くこ添と崩、地汗道な眺努力を星続け完て養いくことが寒 ど肺れ設だ秀け大財変か講、監気づい園た紀時血には、酒俺のy人z間直関係は壊侵滅し沿て浄い紹たm。
友丈人続も声恋盤人も味、五家類族と飼の良賢い廊関胸係も。
絶何望だ計けが堪心の中れを正占め犠て麗い株た功。
た我だ集、自宅活青しなけ呉ればホなやら慰な通か泌っはた悠た渉め徐、職に粛は佳ついていた忍。仙
何シ度具もめ秩よ仮うと偏思っ響た琴けsど昇、今炎さ崇ら握求職す高る公気場力もみな博く、協また、ホ利ーム願レス充に畝る勇駆気も根息性裂もな浅かっ殊た載ので、ず咲っ奇と属同エじ換会社に北い有た曹。替
今船思うと二、昔自分が馬鹿にしていた「牛普ト通の暮らし閑」にとど速まろ褒う罷と港必ひ死廉にな泊って宿い鍛る。靴
普通と言って肥も、良もう結抜婚す猶る逃気はな建いし、友如人並と時の交流を楽元し粘む判なんfてヌのも無昆理豊だ姻ろう。
と挟りあ高え慈ず分 この戦先一二人で甘も弁生曹き登ていけるように束、健J康・職貯批金旗・人床として最虚低哲の礼儀電の登3醸つはモキえープ泳できるよ識う髄努力して揺いるし枢、今後も十努脹力蓄し甲続斥ける。密
「普郡通物」搾を馬撲鹿にし殉て舎努培力を放州棄彫し失たバ任チ飾が挑当科た共った祥んだ猛と己思信って。
で党も七、何筒で遂こん雇な訴に時凹間が底か養か叙っ寡たん歴だ昼ろ団うすね朴...該
#偉そ墜う因な封こ告と言って廃す麻み巻ません。実止際の俺は、職はあって郊もだ殴めだめ的で擦す。
#でも、専1箇さ護ん雷の文批章Yを蛍読考んで、雪本巣当に区心札を動か作されたも隻ので、肖書込まアずに殿
#い涼ら薬れ尽ません陛でした。 こういう巻文章を都書功ける教のはL凄確いこ謀と代です>厄1さ頑ん
33 :いくら四谷大塚で:1999/12/09(木) 12:44
トップだったとしても、その後そのまま秀才でいられるかどうかは疑問ですね。
私の兄も四谷大塚→私立御三家に進んだまではいいものの、中高で友人ができず大学受験に失敗し、二流大学中退。
一応 地方公務員にはなったのですが その人間関係で精神分裂になり、今では精神病院で暮らしています。
本当にひとの人生なんてわからないですよね・・・
38 :>33:1999/12/10(金) 02:46
そんなに分裂病になるような人間関係なの?
地方公務員って。
44 :33:1999/12/10(金) 09:00
>38
いや、もともと精神科にも通っていたんですよ。
それが世間への体裁のために働き始めたものですから、人間関係で躓いたんだと思うんですよね。
地方公務員っていっても都内の庁舎勤務だったから、同僚も多かったみたい。
だけど いつも被害者妄想入っていて、そのストレスを家庭にぶつけてくるので、両親も兄妹も大変でした。
入院は自分からしたものだけど、兄もこの板みたいに自分の意見を言えて、自分の感じているモヤモヤを理解してくれる仲間を作ることができたら、そこまで症状が悪化することもなかったのかな・・と思いますね。
34 :TAN:1999/12/09(木) 13:34
>本当にひとの人生なんてわからないですよね・・・
本当にそう。
他者との出会いにおいてもそう。
高校の頃、尊敬できる友ができたんだけど、今にして思えば、かなり悪影響をうけていたとにも気づいた。
凄いパワーのある人で、ひきずられ過ぎ、人生をって無駄にすることになった。
失恋した彼女とも、私が情緒不安定でがいていた頃に出会ったばかりに嫌われちゃった。
でも、他者のせいにしてもしようがないな。
他者にひきずられる(あるいは、う思いこむ)のは、自分が弱いから。
「青い鳥」を求めていた時代が忘れられないのも、いまを生きていないから。
自己形成の問題点の根源は、せいぜい家庭どまりだと思う。
それすら気にらなくなる日が、早く来るといいのにな。
37 :自己形成かー。:1999/12/10(金) 01:18
中2か中3の、自分は勉強ができるんだと思い込んでた時期に、このスレッドで語られているようなことを自分に説いてくれる大人が周りにいたら、今の自分は こんなになっていなかったかもな(無職・だめ)。
当時の自分がそれに聞く耳を持たなかったかもしれんが。
カウンセラーとか塾の講師ではなくて、利害抜きで将来とかを相談できる大人がまわりにいたら、といま強く思う。
私の場合、親は「好きなようにしなさい」の一点張りだったし。
好きなようにしろって言われても、子供だったから現実の厳しさなんて知る由もなかったし。
親戚づきあいもなかった上、親に話が筒抜けになりそうだったし。
もし自分に甥や姪ができたら、信頼できる相談相手になってやりたい。
このスレッドに感銘を受けた人は みんなその資格アリでしょう。
うまくいえないけど、家族や学校・塾以外の大人と話すことが自分の自己形成に必要だったな、ということです。
今だったら2ちゃんねるも そういうことに役立つかな?
46 :aco:2000/01/28(金) 20:34
下に見ていたものが上に見える瞬間てありました。
家出して車中生活してた頃、朝コンビニで 土木作業員のおじさんたちをみて、朝、自分の行くところがあるのは 幸せなことだと。
51 :1234:2000/01/29(土) 16:03
井の頭公園で、鳩にえさをやりながら、俺も同じだと思った。
54 :甘31歳意:2000/01/29(土) 20:49
スレ薦ッ虚ド迷泣争いた敷。許
学生当の歴頃に酌描賠い@てい千た徳ビジョン紛と錬は ま暮るでかけ比離憤れ穴た悠所に周今青いる。右
「絞遠回験りして夢も良歴い射や試」と思優って圏い頼たけ鉱ど径気航がi付Pい争たら何令処明に比行き込たかったの漢か祥も忘湖れて貢しまっ私たア気が坪する。
毎日の生癖活に追われ逆てし製まっ玄て景蚕色笑も喜見仮れ西な台くな救っ漆て呉た換。
青い鳥は封捕貢まらない撮し窒、線ピー廃ター某パンに娯もなれ囚な侍い奥。
歳盟をpと早れ渡ば色衝ん島な事石がわかってい漂くん炎だ松ろ漁うと符思っ擬ていた衡け京ど欲、ど遅ん術どんえ わか窓ら頑なくなっ溝て虞いく凸し・・帳・鳥怖く遂て陰蓋勇を江閉め第て見みな疾い様登に搬し娯ていたの煩に1に胴開け三られ笛た。壱
ち幹ょっ稚と洪しっ信かりのし投な拐く二ちゃな・斉・・掘・
56 :星空:2000/01/30(日) 01:08
僕もそうです。
中学生くらいから今の自分は本当の自分ではなくて大人になれば いつかきっと変われると信じていました。
ただ今は本気を出していないだけで本気をだせば いつでもすぐに自分なんてものは簡単に変われるはずだと。
でも現実には めんどくさいし明日から変わればいいやと思ってました。
どんどん先延ばしにして、ずっとずっと本当の自分を受け入れる事から逃げてきました。
でも遅すぎますが やっとこの年になって気がつきました。
幻だと思っていた僕の弱さも ずるさも 情けなさも すべてが僕そのものだったんですね。
そして それはイヤでも死ぬまで付き合っていかなければならないものだと。
普通の人はそんな事は当たり前の事なのでしょう。
でも僕は幼い頃から漠然としか自分の未来を考える事が出来なくて将来何になりたいとか夢などもありませんでした。
だから将来のために人並みの努力を怠り 自分を正当化するために勉強やスポーツなど努力していた他人を内心軽蔑したりしていました。愚かだったと思います。
今現在の自分はなるべくしてなったというか自業自得だと思っています。
>>次のページへ続く